8月16日

なんだかひどく疲れていて、寝続けていたらいつの間にやら夜になっていた。いろいろあってアニメの『四畳半神話体系』を全部観た。

四畳半神話大系 第1巻 [DVD]

四畳半神話大系 第1巻 [DVD]

 

この作品は大学入学前に一度見たことがあったし、大学に入って間もなく、原作の小説を友人から借りて読んでもいる。舞台のモチーフとなっている大学の学部5回生――絶賛休学中という身分にあって、この青春群像劇を眺めなおすことは、歯切れよく語ることなどできようもない僕の大学生活を、身に合わないノスタルジーへと追いやってしまうのではないか、などとヒヤヒヤしながらこのアニメを観始めた。気づけば観終わっていた。

僕は、在学中に遺書を書いたことがあり、そのときのことをよく覚えている。いたたまれなさとも恥ずかしさともつかないモヤモヤとした気分に襲われて、書き上げるやいなや捨ててしまった。フィツジェラルドに魅了されていたときのことだった。人生はいつも長いと感じるし、ひとは朽ちてゆくようにしか思えなかった。熱量のある花車を見れば、凄惨な破滅の幻影がその景色に重なった。何もかもが、虚無への準備のように思われ、絶望していた。遺書の書き出しは「長い人生でした」で、締めは「出来の悪い人間で済みませんでした」だった。

『四畳半神話体系』において描かれる無数の人と生は、どれもこれもいとおしく感じる。それは、10話において描かれる孤独と後悔であってさえも。よく覚えていないけれど、昔の自分は、この主人公である「私」の大学生活を羨んだことだっただろう。今の僕でさえ、こうして余りにもかけがえのない生活を眼前に突きつけられれば、唸らずにはおれない。しかし、人生は取り返しがつかない。それに、僕のこれまでの大学生活も、順風満帆とは言わないまでも、なかなか悪くはなかったような気がする。勉学や部活に恋愛、課題やシチュエーションをリストアップしてその達成度を計る必要もなかったし、大学生活を崇高な理想の過程と見なすこともできなかったからこそ、無条件の肯定を自分の生活史に与えてやることができた。

さまざまな選択肢と、結果として起こることのなかった可能性の世界線を思い浮かべるたび、起こってしまった人生の重みに気が滅入る。荷が勝ちすぎると感じないわけにはゆかない。それで、時には遺書のことを思い出してしまう。悔いのために生きることはできない。過去は救えないと思って行動するしかない。この物語は、いまの僕の背中をほんのりと押してくれる作品だった。何者にもなれない自分から本当の自分へと変わる、という物語から縁を切った僕が大切にしたい物語だ。

8月15日

豪雨のなか大学へ。防水がウリのカバンだったのですっかり大丈夫なものと思っていたら、中がびしょ濡れになっており、本が1冊やられた。イライラ。

金管五重奏の合わせ。みんな喋らんので練習の音頭をとるのが面倒。練習後は同期とキッチンごりらでハンバーグを食べた。今後もサークルにかかわるか悩んでいるらしく、大変そうだった。

後輩の能力を思いのほか伸ばすことができなかったことを悔やみ、それをただ責任という言葉に回収して自分の労を払うのは、困っている後輩にとってはありがたいだろうけれど、ちょっとなあと思う。先輩からの指導は、当人にとって数ある練習の手引きのひとつでしかないし、傍目に見ても彼はよくやっていた。先輩ができることといえば、後輩にとって必要なものへの道を開けておいてやることだけだと思う。本人が気づいていないことを教えてやるとか、気づいていながらその改善方法が分からないでいるときに、そのヒントを与えるとか、それくらいではないか? その責務をそれなりに上手く果たした彼が引け目に感じている当のものの正体は、責任というよりはむしろ同情だろう。

われわれは、自分に教える方法でしか他人に教えることはできないと思う。すぐれた指導者は、きっと意図以上に大きなものを生徒にもたらすのだろうけれど、残念ながら僕たちはそうではなかった。それで、良い指導者でなかったことを理由に、その損害を自身の演奏で補填するというのは、よく分からない話だ。結局、論理的なモヤモヤを「演奏会の出来」という事後的なものに託すことで話を有耶無耶にしてしまうのだ。

彼は、畢竟、イエスかノーかの意思表明がすべてなのだから、大いに自分勝手に考えてほしいと思っている。そういう話を断片的にした。

8月14日

昼頃に起床。知り合いたちと僻地のレンタルスペースで延々とアンサンブル。ホルンを吹くのは楽しいし、体力の続く限りいつまでも楽器を触ってしまう。それにしても疲れた。

普段から首、肩、腰の凝りや痛みに悩まされているのだけど、ホルンを吹くといよいよ身体の具合がおかしくなる。パッセージを吹き終える度に首を回したり肩を解さずにはいられなくなる。整体などを頼った方がいいのだろうか。ただ、下手な整体師にかかると良くないという話も聞くし、なかなか踏ん切りがつかないでいる。

8月13日

10時ごろ起床。いつもであればオリンピックの競泳を観戦していたはずだったのだが、久々に抑うつ症状が出てきており、何もできなかった。

15時から20時までバイト。前半の2,3時間は症状がゆるむ気配もなく死にそうだったけれど、最後の1時間は随分と楽になっていた。

きちんと記録していないけれど、おそらくここまで身体が動かないような、しっかりとした症状が出たのは、おそらくひと月ぶりくらいになる。しかし、突然この症状が現れたというわけではない気もする。この1週間はいつもと比べても割としんどかったし、たとえばプールにも行けなければ勉強もほとんどできなかった。映画を観る気力もなかった。そういう意味では、友人たちと飲んだりしていたのは、かなり体力を振り絞ってしまったのかもしれない。

うつ病の人間が旅行をするのは良くない、という話を治療法や対処法を載せたサイトでよく目にする。すでに、四国輪行まで1週間と迫ってきている。不安は拭い切れない。1年前と比べればずいぶん良くなっている。焦ってはいけないのは分かっている。しかし一方で、何かを見たいという気持ちがとても大きい。自分探しの旅、といってしまえば、そんなものを無理して敢行する必要などない、と止めるのが常識的・良識的な対応だろう。それでも、何か僕を内側から叩く何かがあるので、今回はそれに従いたい。今までも過去の自分のためこんだツケは後々の自分が払ってきたし、今回のツケもまた未来の自分が払うはずだ。僕はそれでいい。

8月12日

10時前に起床。男子200m個人メドレーで泣きそうになりながら昼頃外出。2ヶ月ぶりにホルンを吹いた。その後、ルネで友人たちとビールを飲み倒し、またホルンを吹いてから帰宅。3時間近く吹いたこともあり、唇の具合があまり宜しくなくなっていたけれど、技術的な衰えは思ったほど、という感覚。むしろ、耳の衰えが恐ろしい。音程感や和声の違和感、音のアラなどがうまく探し出せないような感じ。何しろ、サークルの演奏会を2ヶ月前に聴いて以来、楽器の生音を一度も聴いていなかったくらいだ。毎日楽器に触れていた頃には気づかなかったが、技術の維持やメンテナンスのために掛かる時間や金銭が馬鹿にならない。

帰宅後、久しぶりにちゃんと料理。麻婆茄子を作った。翌日の昼と2回に分けて食べるつもりだったのだが、勢い余って一度にすべて食べ切ってしまった。

8月10日

昼過ぎに起床。強烈な夢を見たような気がしたのだが、200mバタフライの決勝を見過ごしたことに気づいて、すっかりそれどころではなくなってしまった。

夜、学部の同期と高倉二条で久々につけ麺を食べ、その足で脱出ゲームへ。クリアならず。これで通算1勝2敗。参加する前は全然乗り気ではないのだけれ、いざ始まるとめちゃくちゃハマる。その温度差にやられて、いつの間にか次回の脱出ゲームの予定を入れてしまう。今回も例に漏れずやられた。

疲弊した脳みそを引っさげ、近くの日本酒バーへ。久々の日本酒に、素晴らしいつまみをいただき、最高の気分だった。さらに大学そばの飲み屋になだれ込み、ビールをグビグビやっていた。最後の方は、科学の共同体にいることの苦痛について話していた。社会学認知心理学、人類学の学徒が居合わせると、そういう話に収斂してしまうのも已む無しという気はする。

店を出ると空が白み始めていた。懐かしい生活だった。幸せではあるけれど、これが当たり前でいられるような時期は、自分の遥か後ろに流れ去ってしまったのだという確信もある。