8月9日

8時ごろ起床。クーラーをつけて寝るのは大切だと思った。オリンピックの水泳を見て午前を潰す。午後はyoutubeなどでひたすら音楽を漁っていた。

中学時代の原体験的な音楽嗜好から、未だにまるで抜け出せていない。たとえば、構成美、実験性、リズム、強く解釈しようとしなければ意味の分からない歌詞。その体験に観念的なものを嗅ぎ取れなければ、僕にとってそれは音楽と呼ぶのに抵抗がある。僕は、ひとと音楽の話がしたい。僕の感性にかんする話がしたいし、あなたの感性は?と尋ねたい。けれど、ひとは音楽談義にそんなものを求めてなどいない。そんなことは分かっている。

8月8日

9時ごろ起床。オリンピックの水泳を眺めていたら昼に。ご飯を少し食べて大学のプールで泳ぐも、食事量が足りないのか3,40分ほど泳いだところでバテて終了。

その後、友人と二回目の『シン・ゴジラ』を観に映画館へ。もちろん初回の視聴時よりも見通し良く楽しむことが出来た。と同時に、恐ろしくも思えた。僕は歴代のゴジラシリーズを知らずに、この『シン・ゴジラ』を観に来ているはずだ。それなのに、「あの」ゴジラ相模湾から鎌倉市へと上陸するシーンで、ゾッとするほどの美しさや、待ち焦がれたものとの邂逅の感覚から、息ができなくなる。見知った街が破壊し尽くされるさまは、どうしようもなく興奮する。生活が根こそぎにされるようなカタストロフから漂う死臭に、理性に逆らうような引力を感じてしまう。それでもやはり、日本がゴジラを乗り越えんとする姿に心を奪われる。

重ねて言うが、『シン・ゴジラ』という映画は面白く、また恐ろしい。このあまりにも巧妙に練られた映画は、観る者の世界を映し出す舞台装置だ。ジガ・ヴェルトフの言葉*1*2*3を思い出さずにはいられない。『シン・ゴジラ』を論ずるとき、論者はその人の目に映る世界の話をさせられることになる。意志、イデオロギー、構造、歴史、世界、人間。映画史に刻まれる蠱惑的な作品の多くは、そうしたもののファンタスマゴリーであり、『シン・ゴジラ』もそうした魔力を秘めた作品だと思うし、今後の邦画の参照点の地位を築くことになるのではないか。もしならなかったとしても、僕にとっては忘がたい作品になるだろう。

映画館を出てから、かつくらでトンカツを貪り、帰宅。心身ともに満腹感がある。しかし、 まだまだ『シン・ゴジラ』に取り憑かれていることを認めないわけにはいかない。もしかしたら、もう1度くらい観に行くかもしれない。

*1:「私は、私だけに見える世界をみんなに見せるための機械だ」

*2:「世界で最も重要なものは、世界を映画的に感じること」

*3:出典は分かりません。

8月7日

9時頃起床。オリンピックの水泳を見ていた。僕自身は小学生時代に5年ほどスイミングスクールに通って以来、人並みにしかプールに入ることもなかったけれど、世界水泳やオリンピックは毎年熱心に見ている。人が泳ぐ姿は本当に美しいと感じる。個人メドレーなど、感動せずにはおれない。

水泳を見終えたあとは暇だったので、映画を観に図書館へ。

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ヌーヴェル・ヴァーグ縛り。鑑賞メーターに書いた感想はこれ。とにかく静謐で、耳より目に対して雄弁。この物語において現れる「ドイツ」と「フランス」がその精神をそれぞれ象徴しているのだ、とかそういうことを言うつもりはなく、ただ在りて在る世界の美しくも惨い大気を胸いっぱいに吸い込むことになる、そういう映画だと思う。

図書館を出ると友人に出会ったので、食堂のようなところで夕食を取ることに。もう行かないと思う。卒論の話が中心だった。彼は仮説検証の形式をとっているのだが、実証のステップで手が詰まっているようだった。さもありなん。

明日、彼と『シン・ゴジラ』を観に行くことになった。2回目の映画は、僕にどのような意味を突きつけるのだろうか。楽しみでもあり、怖くもある。

8月6日

9時頃起床。自力でのパンク修理を試みるも、パンク穴を見つけ出すことができず、断念。チューブを傷付けて高い金を取られるのも癪だったため、引き摺らないように後輪を持ち上げながら自転車屋へ行き、パンク修理と初期点検を依頼した。

修理中に第一旭でラーメンを食べたり、服屋を巡ったりしていた。みよし以外のラーメンを食べたのはたぶんふた月ぶりになる。本当は適当なカフェで時間を潰そうと思ったのだけど、どうもあの雰囲気に気遅れしてしまう。場違いな感じがする。

その後、スーパーで半額になっていた棒アイスをいくつか買い込み、帰宅。籠城していた。そろそろ卒論のデータ集めをはじめないとマズいと感じている、のだか……。

8月5日

昼頃に起床。何かの夢を見ていたような気がするが、メモする前に忘れてしまった。

一日中、『シン・ゴジラ』の余韻に浸ってゴロゴロしていた。夜、外出しかけたが、昨夜の帰りがけに後輪で画鋲を踏んづけたらしく、パンクしていたのでどこにも行かなかった。食事も雑になってきたので、そろそろネジを巻き直さないといけない。

8月4日

昼頃に起床。14時から20時までバイト。その後、友人とレイトショーで庵野秀明シン・ゴジラ』を観た。

とにかく面白い映画だった。密度の高い、圧倒的なものを体験した。おそらく、また映画館に観に行くことになると思う。

映画館を出た後、友人としばらく感想戦をやっていたのだけれど、理想と現実を語るときの責任や意志の描写が興味深い、という点において意見が一致した。以下に記すことは、映画の感想ではない。映画を観て、改めて書きたくなった、二クラス・ルーマンのリスク論などに思考のベースを負う思考の断片。

たとえば、最初にゴジラが上陸したとき、被害を受けた地域を視察しに来た政府の人びとが愕然とするなか、政府の対応が適切かつ迅速であれば被害はもっと抑えられただろう、と嘆く矢口と、それを咎める赤坂を映すシーンがある。彼は、(幸か不幸か)東京湾において観測された謎の事象の原因を巨大生物ではないかと看破し、それは見事に的中した。その瞬間、彼は計算可能なものとしてこの事態を認識することとなった。1回目のゴジラ襲来は、矢口にとっては政府が責任を持つに値する事態であり、他の人びとの目には、不測の事態としてさながら天災のように映ったことだろう。もちろん、巨大生物が現実のものであることが理解されたとき、政府の人びとはみな、次に起こる事態の被害をできる限り抑えなければならないのだと、いよいよ認識を改めざるを得なくなる。

ここで、戦後日本の(無)責任論や組織論などへと話を接続する道もある(友人もこちらの道に強い関心があったと思うし、僕が考えることとも決して無縁ではない)が、ここで僕が考えたいことは、現実のものとなった過去がつねに現在の理想において評価されてしまう、という近代あるいは合理性の論理はもはや何者をも赦すことがなくなるのではないか、という危惧だ。

ある悪い事態が発生した時点までに、不幸にもその起こってしまった事態への対策や措置が検討されなかったとき、あるいは計算不能なものとして投げ出されたとき、あるいはその被害を抑えるための方策が講じられたときでさえ、その原因を管理していた人間や機関は責任を負うことになる。「なぜ起こったのか」、「なぜ起こると考えなかったのか」、「なぜもっと被害を抑えられなかったのか」。遠く離れゆく最善を未来から持ち出され、過去のことを詰られる。

無論、最善に接近する努力はされて然るべきだし、最善という語の意味するところからして、つねにより良き最善が考えられなければならない。しかし、こうした議論は「これから改善しなければならない」よりも、「なぜ改善できたはずのものをできなかったのか」の方向へと突き進んているように思われる。それが責任を問うということなのだろうか?では、責任を負うとは何によって達成されるのか?あるいは、スティグマとして負い続けることなのか?また、誰が責任を問うべきなのか?ひとは許されることが出来るのか?

いまや、未来は計算可能なものとして考えられている。金は稼げるし、病気は治る。生きやすい世の中になるし、人は幸福に生きられる。事故は防げる。あるいは、昔から未来はそれなりに計算可能だと見なされてきたのかもしれない。けれど、失敗や悲劇があったとき、その少なからぬ要素は、宗教や慣習といった世界観に回収されていたはずのものだと思う。しかし、現代において失敗が許されることなどないのではないか。もはや、許すことができないような事態の責任主体こそ、人びとが日々血眼になって探し求めているその人である。

その意味で、2回目にゴジラが東京を襲った後、総理代理となった里見が、こんな形で歴史に名を残したくはなかった、という旨をぼやくシーンはなんとも象徴的だ。

数年前、倫理学の講義を聞いたか、そのような議論を誰かとした際に、功利主義を提唱したベンサムは、行動と快楽・苦痛の対応表、功利計算のリストを作っていた、という話を聞いた記憶があり、それを当時の僕は鼻で笑っていた。いまの僕には、それを鼻で笑うことができなくなってしまった。僕たちは、自主的にそのリストを作り続けなければならない。つねにそのリストは、未来における「最善」において出来を見られるのだ。

そういうようなことを、改めて考えた。重ねて書くけれど、これは『シン・ゴジラ』の感想ではない、と思う。