8月8日

9時ごろ起床。オリンピックの水泳を眺めていたら昼に。ご飯を少し食べて大学のプールで泳ぐも、食事量が足りないのか3,40分ほど泳いだところでバテて終了。

その後、友人と二回目の『シン・ゴジラ』を観に映画館へ。もちろん初回の視聴時よりも見通し良く楽しむことが出来た。と同時に、恐ろしくも思えた。僕は歴代のゴジラシリーズを知らずに、この『シン・ゴジラ』を観に来ているはずだ。それなのに、「あの」ゴジラ相模湾から鎌倉市へと上陸するシーンで、ゾッとするほどの美しさや、待ち焦がれたものとの邂逅の感覚から、息ができなくなる。見知った街が破壊し尽くされるさまは、どうしようもなく興奮する。生活が根こそぎにされるようなカタストロフから漂う死臭に、理性に逆らうような引力を感じてしまう。それでもやはり、日本がゴジラを乗り越えんとする姿に心を奪われる。

重ねて言うが、『シン・ゴジラ』という映画は面白く、また恐ろしい。このあまりにも巧妙に練られた映画は、観る者の世界を映し出す舞台装置だ。ジガ・ヴェルトフの言葉*1*2*3を思い出さずにはいられない。『シン・ゴジラ』を論ずるとき、論者はその人の目に映る世界の話をさせられることになる。意志、イデオロギー、構造、歴史、世界、人間。映画史に刻まれる蠱惑的な作品の多くは、そうしたもののファンタスマゴリーであり、『シン・ゴジラ』もそうした魔力を秘めた作品だと思うし、今後の邦画の参照点の地位を築くことになるのではないか。もしならなかったとしても、僕にとっては忘がたい作品になるだろう。

映画館を出てから、かつくらでトンカツを貪り、帰宅。心身ともに満腹感がある。しかし、 まだまだ『シン・ゴジラ』に取り憑かれていることを認めないわけにはいかない。もしかしたら、もう1度くらい観に行くかもしれない。

*1:「私は、私だけに見える世界をみんなに見せるための機械だ」

*2:「世界で最も重要なものは、世界を映画的に感じること」

*3:出典は分かりません。