8月23日 香川

7時ごろ起床。日焼けした腕が痛む以外には、肩、足、腰ともに問題なかったが、眠気は拭えなかった。

今治駅から3時間半ほどかけて電車に揺られて高松駅へ。1時間ほど眠ったほかは、おとといに引き続き、太宰治全集を読み進めていた。時系列順に読んでいるのだけど、彼の初期の問題意識への共感と、それを表現するための文章の受け入れがたさとのギャップがしんどく感じられた。

昼前に高松駅に到着。そのまま駅構内のうどん屋で讃岐うどんをいただく。とにかくコシが強く、濃厚。香川県民のうどんに対するこだわりは本物だったのだと感心しきりだった。

食事を済ませた後は、海沿いを走りながら屋島の四国村を目指した。フェリー乗り場や港を昼間に見ることが今まであまりなかったこともあって、なかなか新鮮だった。それに、瀬戸内で島も多く、向こう岸が見えたりもするのが面白い。

13時頃に四国村へ到着。如何にも地元の小中学生の社会科見学や遠足に使われそうな場所だったが、割と楽しかった。山のなかに使わなくなった灯台やら洋亭やらをまとめて引っ越したということが信じがたかった。なかでも面白かったのは、安藤忠雄が設計したという四国村ギャラリー。ボナールやマティス、古代中東の陶器などが展示してあるほか、水景庭園が素晴らしい。季節を選べば、バラなどが咲き誇っているとも聞いたが、僕が見た景色はそれはもう青々としていた。まさか四国で安藤忠雄の建物と巡り会うとは思わなかった。

四国村を降りた後は、栗林公園へ向かったものの、あまり気分が乗らず退散。名所という話は聞いていたけれど、見たいものを見たいときに見るのが旅だと思っているので、また機会が訪れれば、と思う。

夕方に、琴平駅そばのゲストハウスに到着。荷物を降ろし、筋肉痛用のスプレーと日焼け止めを購入するべくスーパーに寄り、帰りがけに骨付き鶏の店(店名失念)に入ると、同じゲストハウスに宿泊している人びと(大学生ふたりと年配の方ひとり)と出くわし、ご一緒させてもらった。浴びるように酒を飲み、政治的な話もした。世間の目や利害の測り方は、やはりアカデミズムの世界とはまったく違う。知的誠実さや他者理解という格率は、前者の世界において徹底されたものではない。酒屋での談義は学術的な議論ではない。そんなことは分かっているけれど、そもそも話を聞いてもらえなかったり、論理性の誤りを指摘させてもらえなかったり、あまつさえ攻撃性を向けられたことにはやるせなさを覚えた。それを見て、ほかのふたりがなんの疑問をも抱いている様子がなかったことにも絶望した。むろん、僕の考え方にもそれなりに偏りがあるのは分かっているけれども。そして、こうした合理性という名のローカルルールの彼岸に鎮座在す存在こそが本当の他者なのだろう。とはいえ、雑談自体はとても楽しかった。

けっきょく、ご馳走になってしまった。どのようにゲストハウスに帰ったのか、どのように床についたのかはよく覚えていない。