8月4日

昼頃に起床。14時から20時までバイト。その後、友人とレイトショーで庵野秀明シン・ゴジラ』を観た。

とにかく面白い映画だった。密度の高い、圧倒的なものを体験した。おそらく、また映画館に観に行くことになると思う。

映画館を出た後、友人としばらく感想戦をやっていたのだけれど、理想と現実を語るときの責任や意志の描写が興味深い、という点において意見が一致した。以下に記すことは、映画の感想ではない。映画を観て、改めて書きたくなった、二クラス・ルーマンのリスク論などに思考のベースを負う思考の断片。

たとえば、最初にゴジラが上陸したとき、被害を受けた地域を視察しに来た政府の人びとが愕然とするなか、政府の対応が適切かつ迅速であれば被害はもっと抑えられただろう、と嘆く矢口と、それを咎める赤坂を映すシーンがある。彼は、(幸か不幸か)東京湾において観測された謎の事象の原因を巨大生物ではないかと看破し、それは見事に的中した。その瞬間、彼は計算可能なものとしてこの事態を認識することとなった。1回目のゴジラ襲来は、矢口にとっては政府が責任を持つに値する事態であり、他の人びとの目には、不測の事態としてさながら天災のように映ったことだろう。もちろん、巨大生物が現実のものであることが理解されたとき、政府の人びとはみな、次に起こる事態の被害をできる限り抑えなければならないのだと、いよいよ認識を改めざるを得なくなる。

ここで、戦後日本の(無)責任論や組織論などへと話を接続する道もある(友人もこちらの道に強い関心があったと思うし、僕が考えることとも決して無縁ではない)が、ここで僕が考えたいことは、現実のものとなった過去がつねに現在の理想において評価されてしまう、という近代あるいは合理性の論理はもはや何者をも赦すことがなくなるのではないか、という危惧だ。

ある悪い事態が発生した時点までに、不幸にもその起こってしまった事態への対策や措置が検討されなかったとき、あるいは計算不能なものとして投げ出されたとき、あるいはその被害を抑えるための方策が講じられたときでさえ、その原因を管理していた人間や機関は責任を負うことになる。「なぜ起こったのか」、「なぜ起こると考えなかったのか」、「なぜもっと被害を抑えられなかったのか」。遠く離れゆく最善を未来から持ち出され、過去のことを詰られる。

無論、最善に接近する努力はされて然るべきだし、最善という語の意味するところからして、つねにより良き最善が考えられなければならない。しかし、こうした議論は「これから改善しなければならない」よりも、「なぜ改善できたはずのものをできなかったのか」の方向へと突き進んているように思われる。それが責任を問うということなのだろうか?では、責任を負うとは何によって達成されるのか?あるいは、スティグマとして負い続けることなのか?また、誰が責任を問うべきなのか?ひとは許されることが出来るのか?

いまや、未来は計算可能なものとして考えられている。金は稼げるし、病気は治る。生きやすい世の中になるし、人は幸福に生きられる。事故は防げる。あるいは、昔から未来はそれなりに計算可能だと見なされてきたのかもしれない。けれど、失敗や悲劇があったとき、その少なからぬ要素は、宗教や慣習といった世界観に回収されていたはずのものだと思う。しかし、現代において失敗が許されることなどないのではないか。もはや、許すことができないような事態の責任主体こそ、人びとが日々血眼になって探し求めているその人である。

その意味で、2回目にゴジラが東京を襲った後、総理代理となった里見が、こんな形で歴史に名を残したくはなかった、という旨をぼやくシーンはなんとも象徴的だ。

数年前、倫理学の講義を聞いたか、そのような議論を誰かとした際に、功利主義を提唱したベンサムは、行動と快楽・苦痛の対応表、功利計算のリストを作っていた、という話を聞いた記憶があり、それを当時の僕は鼻で笑っていた。いまの僕には、それを鼻で笑うことができなくなってしまった。僕たちは、自主的にそのリストを作り続けなければならない。つねにそのリストは、未来における「最善」において出来を見られるのだ。

そういうようなことを、改めて考えた。重ねて書くけれど、これは『シン・ゴジラ』の感想ではない、と思う。