8月2日

5時頃に汗びっしょりになりながら目が覚め、クーラーをつけて二度寝。次に目を開けたときには13時に。

昼食をとり、ぼんやりと暇を持て余していたら、ダリ展のことを思い出し、京都市美術館へ。15時少し前に着いたが、ダリ展を回り終えて会場から出る頃には17時になっていた。恐ろしい。

ダリは、イメージよりもずっと技巧的な画家なのだと思った。いやむしろ、画家の活動におけるインスピレーションの要素ばかり見て、彼らの技術的な模索の面について見落としていたのだろう。僕にとっては、ダリといえば『記憶の固執(柔らかい時計)』や『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』だったのだけれど、100以上ある作品群を時代順に追っていけば、もちろんそれだけではないばかりか、あらゆる作品を何かの途上として認められることが分かる。ダリが原爆や原子力に関心を寄せていたというのは知らなかった。

それにしても、感想がなかなか書けない。面白くなかったわけがない。なんといっても、ダリの絵だ。といって、感極まったふうでもない。普段から、何かに触れたときは何かしらの感覚が身体や頭に残るし、それを文字に起こすのにもそこまで苦労しない。ところが、今日は何故かうまくいかない。覚束無い文字だけが僕の本心のはるか外側を滑る。すべてがわざとらしく、嘘くさくなってしまう。それがダリの魔力なのだろうか。

トートバッグを買ってしまった。"The true painter must be able, before an empty desert to fill his canvas with extraordinary scenes. "
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ダリ展を後にし、すぐそばの蔦屋書店兼スタバに立ち寄った。人びとの雰囲気に圧倒されたので、すぐさま退却した。

帰宅後、何もしなかった。というより、できなかった。画展にしろ、演奏会にしろ、精神的な疲労がものすごい。