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7月31日

日記 感想―映画

10時頃に起き、ご飯を食べてからリチャード・ローティの本をパラパラめくった。

立場の表明としては雑駁になるが、僕は、真理という概念を多様なものと見なして、どのような語彙を用いるべきかという議論によって人間と真理とが関係を持つことになるのだというローティのスタンスには同意するし、自由な議論のもとで真理の探求はなされるべきだとも思うけれど、同時に「われわれの外部にある絶対的なもの」、いわゆる哲学=科学的な〈真理〉を想定することもまた先の立場において有意味だと考え、またその審判(つまり、議論の内容と〈真理〉との距離にかんする評価)に科学システムが働くべきだと考え、民主主義を手続きの前提におくことに躊躇いがある(つもりでいる)。

このような自己認識は、初めて『プラグマティズムの帰結』を読んだとき――たぶん2年ほど前だから、3回生の頃?――にぼんやりと生まれ、今に至るまで僕のなかにそれなりに色濃く残っている。ただ、当時は本の中でなされている議論についていけず、かなり端折って読んだ記憶があり、それをふと思い出して、再びローティの著作に挑もうと決心したのだった。感想を書くのは、読み終わるまで差し控えておく。

昼過ぎに、大学の図書館へ。映画熱が高まっていたので、メディア・コモンズへ。入学以来、この場所に来たことがなかったけれど、余りにも快適で景色もいいので驚いた。ルイ・マルさよなら子供たち』を観た。

 

さよなら子供たち【HDニューマスター版】 [DVD]

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第二次大戦中のフランスのカトリックの中学校における物語。演出こそささやかだったけれど、映像の下に潜むメッセージ性は冷酷なまでにこちら側へと突き抜けてくる。戦争といえば、爆撃や拷問がすぐさま連想されるが、この映画において戦争は、もっと間接的でありながら、精神的で暴力的な断面から映し出されている。死への覚悟を強いることの惨さ、世界観や信念を共有しない他者への冷たさ、忘れえない記憶として残り続ける痛み。それらを密やかに暴き出しているこの映画を、僕はどのように形容すれば良いのだろう、と思う。

その後、午前中に触れた本を読み進め、帰宅。連日センチメンタルな心中になっていたせいか、どうしても酒が飲みたくなり、また親の実科からジュースが届いていたので、それでウォッカやラムを割って飲んでいた。

気づけば7月も終わっていたので、そろそろ卒論を片付ける準備をしなければならない。自分でテーマや方法論を設定しておいてなんだが、やはり調査は面倒だ。