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7月29日

日記

9時に起床。作り置きしていた親子丼を食べ、ベッドに転がりながら、YouTubeでThe AristocratsやAnimals as Leadersなどの楽曲を聴いていた。時間に追われることなく、ただ音楽を音楽として味わう時間に、無類の喜びを感じずにはおれない。

僕は音楽を聴くのも演奏するのも好きだ。オーケストラでホルンを吹くし、ジャズなどでエレキベースを弾くこともあった。今後機会があればギターを弾きたいとも思っている。

しかし、クラシックに造詣が深いか?否。ストラヴィンスキーベートーヴェンが好きだ。一方で、「あの」ブラームスの4つのシンフォニーさえうろ覚えだし、サン=サーンスやバッハもろくすっぽ聴いたことがない。何より、小曲はほとんど聴かない。

では、ジャズは?ベース弾きだから、ジョージ・ムラーツニールス・ペデルセンが参加しているアルバムはいくつか聴いて、病みつきになった。しかし、ロン・カーターさえよく知らない。Weather ReportやChick Corea Elektric Bandはよく聴いたが、「あの」ジョン・コルトレーンマイルス・デイヴィスさえ、聴いたことがあるか記憶にない。

ロックやメタルにかんしても、同じことだ。Cynic, Dream Theater, Pink Floyd, The Mars Voltaなどは高校生の頃にひたすら聴き込んでいたけれど、それ以外のアーティストやグループはからっきしだった。「あの」ジミヘンすらよく知らない。

僕にとって、音楽という領域は長らくセンシティブなものだった。音楽は僕の世界のなかでも少なからぬ空間を占有している。にもかかわらず、同様に音楽の虜となった人びとと会話するときは、できるかぎり話を深めないようにしていた。10年近く、こだわりを持って音楽に触れているつもりだし、何かしら一家言ある。しかし、それにしては余りgeek的ではない。まるで、音楽談義に参加する資格が自分にはないように思えてしまう。

一方で、文学や絵画などを語ることについては気兼ねがない。知らないことをなんとも思わないでいられる。話し相手から自分の知らなかったことが聞けることについて、素直でいられる。余計なプライドを抱えずにいられることの大きな理由には、僕がこれらの分野に関心を持つようになったのがつい最近のことだから、というのが挙げられるだろう。

端的に言えば、自尊心の問題だ。最近になって――つまり、部活を引退してからのことだが、ようやくプライドの呪縛から解き放たれたような気がする。しかし、音楽について語ることに気が進まないのは、音楽が表現するのは音楽そのものに過ぎない、という感覚が自分のなかに根強く残っていることも大きな理由になっている。そしてこのことに関連してか、音楽を評価・表象するのに使われる語彙を疑っている。たとえば、レスピーギの楽曲の特徴は色彩感豊かなオーケストレーションだ、とよく言われるが、その言葉選びで良いのだろうか?もちろん、音楽にかんする言語ゲームのなかで使われる「色彩感」と、視覚的な形容に使われる「色彩感」とで、意味するものが違うのだ、という話は理解できる。五感を分類し、それぞれに対応する形容詞を開発する必要などもない。にもかかわらず、こうした違和感を拭えずにいる。

 12時に学校のプールへ。2時間と言わないまでも、1時間半くらいは泳ごうと思っていたのだけれど、試験期間が終わったからかやたらと人が多く、気分が悪くなったので1時間ほど泳いで撤収した。

その後、友人たちと大学食堂で昼食。年に3,4回ほどしか食堂を利用しないせいか、毎回メニューを選ぶのに手こずっている気がする。就活の面接の話などをした。「いままでで一番大きな挫折は何でしたか?また、それをどのように乗り越えましたか?」といった類の質問は、小学校の道徳や国語の授業で書かされる作文と似ているように感じる。みんな、何を答えれば相手が喜ぶのかなど分かっているのだ。それを愚かと断じてしまうのは、流石に面接者側を忖度しなさすぎだろうけれど、笑ってしまう。

図書館で勉強をし、ひと段落ついたところで映画(ゴダール勝手にしやがれ』)を観ようとしたのだが、眠気に襲われて10分ほどで中断。帰宅。

ウォッカを飲みながら、チェーホフの短編集を読み進めた。