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9月3日

日記

昨夜、友人が家に来ていた。朝昼兼用で「第一旭」でラーメンを食べた後、高価な日本酒を購入し、福岡からの手土産として買ってきてくれたイカ明太と合わせ、早速いただいた。至福のひとことに尽きる。

友人は夕方から用事があるとのことだったので、昼食後に別れ、昼寝。21時前、後輩と『君の名は。』を観るべく映画館へ行くも、まさかの満席。「からふね屋」で2時間ほどくだを巻く。政治学的なことや科学的なことと、政治的なことや日常的なこととの距離の話が中心だった。正しいかどうか、などという問いは、多くの場面において必要とされていないか、「正しさ」という語の響きほど強力な審級ではないように感じられる。そのことは、憂うべき事態なのか。それさえもはっきりしないまま、帰路についた。

9月2日

日記

昼ごろ起床。大学に行き、映画を観ようとするも集中できず。新刊コーナーにあったロシアにかんする教養書のようなものを読んだ。特に興味深かったのは、ロシアの道路状況などインフラについての研究。

その後、部室で練習をし、その足で後輩たちの打ち上げに顔を出すことに。毎年恒例の飲み会なので、その時期に大学近辺にいる少なからぬOBが顔を出すのだけれど、これが底ぬけに楽しい。自分が現役生だったときも、年寄りが来て大喜びしていたような気がするので、自分も温かく迎えられていることを期待しているが、あまりそういうものに甘えても良くないと思い始めた。自分を知らない世代が現れる程度には僕も歳をとったのだとしみじみ思った。

9月1日

日記

昨日に引き続き、ベッドの上で呻く一日を過ごした。旅の前に買い込んだ(が持っていけなかった)カロリーメイトを貪って空腹を誤魔化した。

どうも寂しく感じる。親戚のところで一身に浴びた親愛があまりにも尊いものだと思わずにはおれない。しかし経験上、自分が誰かと過ごすというのは余りにも向いていないし、このような親愛の類いを得られるような環境を身の回りに云々することはできない気がする。

8月31日

日記

筋肉痛で1日中呻きながらベッドで転げ回っていた。しまなみ海道の往路後は腰まわりの疲労感だけだったのだが、復路で急いだこともあってか、太ももの裏側などはキッチリ筋肉痛になっていた。

8月はあっという間に終わってしまったような気がする。日々を何か精神的なものの邂逅で埋めていくように過ごしたことは、知的な成果とは別に、ひとつの充実感として残っている。しかし、もっと本を読まなければならないと思った。

8月30日 愛媛〜京都

日記 旅行

移動日。5時半ごろ起床。朝ご飯を食べ、身支度をし、親族たちにひと通り挨拶を済ませ、7時前に出発。無人駅でひとり自転車を畳むのは何とも言えない気持ちになった。

もともと松山を回ってから帰ろうと思っていたけれど、18切符が残り1枚だったことや、何となく帰りたいという気分が強まっていたことも相俟って、1日で帰ってしまうことに。12時少し前に今治駅に到着し、そこからしまなみ海道サイクリングの復路開始。

結論から言えば、4時間でフェリーに乗船することができた。往路よりも2時間近く短縮できた。往路からの改善点として、 

  • 肩や首に巻いていたタオルを、服と肌の間に挟むようにした
  • 序盤の平地での回転数を抑えた
  • はじめから薄着で、日焼け止めを塗った

などがある。それにしても、一度通った道というだけでかなり違う。どれだけの坂がいつ頃来るのか、というのをわずかでも把握していると精神的にもずいぶん楽だ。

今回の旅では、しまなみ海道をサイクリングコースとしてしか考えていなかったけれど、次に来るときは、時間に余裕をもって、途中の店や美術館などにも足を運びたい。

しまなみ海道を渡り終えた後は、商店街で中華そばを食べ、17時ごろに電車へ。岡山から姫路への乗り合わせが悪く、時間もあったので駅弁を食べたりもしていた。京都駅には23時ごろ到着。そのまま帰宅し、シャワーを浴びてベッドへ。長旅だった。

 

8月25日 高知

日記 旅行 感想―漫画

6時ごろ起床。流石に快眠とはゆかないが、身体の疲れはほとんどなく、どうせと思って何冊か漫画を読むことに。『レベルE』と『ソラニン』を読んだ。前者はゲラゲラ笑いながら読んでいたけれど、後者は本当に染み入った。

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

 

先日観た『四畳半神話体系』は、大学生活を大いに励ましてくれるような感覚を僕にもたらしてくれたけれど、この作品はそうもいかない。

大学生の生活から社会人の生活へと移行するにつけ、好むと好まざるとにかかわらず、生活様式は書き換えられてゆく。観念的な動機はいつの間にか、現実的な審級によってその可能性を定められてしまう。青春と手を結ぶ理念に傾倒していた人びとは、高く掲げていたそれらごと精神を摩耗してしまう。子供/大人という境界線によって、変化を迫られる。しかし、多くの人びとはけっきょくのところ、青臭い感情や理念を後生大事に取っておいているのだ。取り返しのつかなさが、短い物語のなかで何度も、さまざまな形で反復される。僕にとって、あまりにも突き刺さる物語だった。

9時ごろに漫画喫茶を後にし、自転車で桂浜へ向かう。道中に高知競馬場などに立ち寄ったりもしたけれど開場前だったので入れず。しかし、無人にもかかわらずなんと禍々しい気配。金に対する熱気の立ち込める場所。

10時ごろ、海沿いのカフェ「マリーンロード」でモーニング。少しだけ曇った太平洋沖の漣を見ながら、ぼんやりと夏の終わりを噛み締めていた。急に映画を観たいと思った。

12時ごろ、坂本龍馬記念館を巡った。なにしろ歴史に疎いので、何が面白いのか理解できるのだろうかと入るまでは不安だったけれど、思いのほか楽しめた。硬貨から貨幣へシフトさせることを勘案していたこととかは、割とへぇーと感じた。中を探索しているうちに天気は良くなり、海は絶景だった。

坂本龍馬記念館を後にし、自由民権記念館へ。坂本龍馬よりは板垣退助のが関心があったし、それなりに分かるだろうと踏んで中に入ったが、あくまでも貴重な歴史資料を展示している場所であって、自由民権運動にまつわる情報を知ろうとしに来るような場所ではなかった。なので僕向きではなかった。

14時ごろひろめ市場へ。遅めの昼食に、「明神丸」の塩たたき丼、鯨の竜田揚げ、日本酒をいただいた。絶品。とんでもなくうまかった。場所も独特の雰囲気があって、病みつきになる。

食事を済ませ、予約していたゲストハウスに向かい、荷物を置く。この時点でまだ18時前。宿においてあった観光ガイドをパラパラとめくっていると、桂浜の北東に植物園があったことを知り、ガックリ。次に高知に来たときは絶対に行こうと思う。

夕飯を食べにひろめ市場に戻ろうとすると、商店街でよさこいを踊っていたのでしばし鑑賞。その後、ひろめ市場の「千松」で鯨丼をいただく。野菜炒めと鯨肉の乗った丼物だったのだけど、これまた美味かった。なにしろ酒が合う。隣の席に座っていたお爺さんと1時間ほど喋っていた。なんでも、いままでは役所などで働いていて、土佐文旦を最近作り始めたとか。周囲にそのような経歴の人もいなかったし、愛媛の祖父母がみかん農家なこともあり、意気投合。その多くがとりとめもない話だったけれど、現場における思考の話や、自然を相手取る話というのは、自分の学的関心ともリンクしていたし、なによりも旅のなかでそこに住む人びとと話すことができるのは本当に有り難い。

気分良く宿に戻り、翌日の支度をしていると、ほかの宿泊者たちもチェックインし始めており、今日の旅行の成果や自身の興味関心についてくだを巻き合った。程よい疲労感を抱きつつ、24時に就寝。

8月24日 大歩危〜高知

日記 旅行

7時ごろ起床。昨晩は宿に帰ってからもほかの大学生の宿泊者たちに妙な絡み方をしていたらしく、顔を合わせるや否やニヤニヤされた。迷惑がられていないなら何も言うことはない。もし不快を隠していただいていたなら、たいへん申し訳なく思う。

宿で酔いを醒ましながら雑談をし、電車に乗って琴平駅へ。金刀比羅宮へ向かおうとするも、これが思いのほか駅から遠く、また後に控えていた大歩危の峠までに体力を使いたくなかったため、観光を見送り。

琴平駅から2時間半ほどかけて徳島の大歩危駅に到着。道中は太宰から漱石に鞍替え。漱石の作品群は、僕の大学生活に大きな影響を与えている。あるいは人格形成にも。

自転車で秘境の湯に辿り着くのが大歩危の目的。駅から温泉までは片道8kmかそこらだったのだが、あまりの勾配で、平均時速が10km以下だったり、途中で何度も休憩したこともあり、1時間半近く掛かってしまっていた。

しかし、疲労しきった身体に温泉はたまらない。人のほとんど入っていない温泉に、身体中の皮膚がふやけるまで浸かり、手拭いまで購入してしまった。帰り道はその3/4近くが下りだったので、快適に駅まで戻ることができた。もっと余力があれば、かずら橋まで走ることができたかも知れないが、流石にその時は無理と確信した。

大歩危駅からさらに電車で2時間ほど揺られ、高知駅に到着したのが20時ごろ。腹も減ったので、「満潮」に入り、海賊焼きと貝飯をいただく。とにかく絶品のひとこと。あまりの美味しさに、控えようと思っていた日本酒を頼んでしまう始末。五臓六腑に海の幸とアルコールが染み渡り、満足なことこの上なかった。

いい気分で店を後にし、宿がわりの漫画喫茶へ。少しばかり酒を飲んでいたこともあり、すぐに眠りにつくことができた。